生命保険で「本当に大切なもの」を守れるか

大切に思うことは、人それぞれに違うのだろうか。それは、その人本人が思うことで他人がとやかく言うべきことではないが、深いレベルで考えたときに「人それぞれに違う」という考え方は、間違いであることを理解することになる。

その理由は「人それぞれに違う」と考えるのは、深いレベルに達していない途中の段階であって、それよりも深いレベルに達したときに、以前、そのように考えた自分がいたことに気付いたときに「人それぞれに違う」のではなく誰にでも共通する「普遍的なものである」ことを理解するからだ。

そのことを悟るための「修行」を怠ってはならないと戒めた人物がいる。その人を「人物」と表現して良いのか、どうかわからないが、その人は、言わずと知れたブッダその人である。私は、ブッダの教えから、とても多くのものを学んだ。

私が「生命保険」の活用方法を記述した本文の最後に「この世で正義を貫く抜くことが如何に難しいかよく知っています。それでも彼の方が、そのようにされたように、私も、そうする以外に道はないのです」と記した『彼の方』とは、まさしく、ブッダのことである。

ブッダは今も生きている。それは、どこか、人々の「心の中」にである。そのことが理解できるようになるには日々修行を積まなければならない。

そのために特定の宗門に属する必要はない。他人のものを奪わずに日々清らかな心を失わずに過ごすことから始めればよいのだ。それは、簡単なように思えて、実際に行なおうとすると、それほど簡単でないことに気が付くはずである。

前述の「販売手数料とインセンティブを稼ぐことにしか興味のない営業マン」が「他人のものを奪わずに日々清らかな心を失わず過ごす」ことの意味も、そのために「修行」する必要があることも理解できないにちがいない。

そのことは「自分が利益するために他人に損をさせてはならない」ことである。そのことが「他人のものを奪わない」ことであり、それは、人間が作った「法律で罰せられる」か、否かを問題にしているのではないことは明らかである。

本章のテーマである「生命保険」で本当に大切なものを守れるかについて

本来、大切なものを守るための『生命保険』であることが理解できたならば、答えは「イエス」であり、本来、そうあるべきものが、得体の知れない(既得権益を守ろうとする)者によって、生命保険の本来あるべき姿が歪められていることを理解するべきである。

だが、そのようなものに屈してはならない。なぜならば、保険料を払い込むのは「加入者」だからだ。

そのことをわかりやすく説明すると、加入者が払い込んだ保険料によって還元されるべき成果(育てた果物の果実)が加入者(生産者)に還元されずに赤の他人(保険会社や営業マン)にもたらされているのである。

そして、そのことを金融庁が、理解しているように思えないほど見過ごしているのだ。そのように加入者が著しく不利益を被っていることが理解できたならば、そのことを保険会社や金融庁へ「現状の改善」を訴えても即座に問題が解決することはない。

それよりも、一人ひとりの加入者が、自分がおかれている状況を理解して(加入内容を把握して)将来、損をする状態から抜け出すことが大事で、そのようにすることが現在の状況を変えるための「近道」であることを理解するべきである。